【読書】グローバル化の行き着く先はどこなのか『グローバリズム以後』を読んで考えたこと
こんばんは。
ホーホーです。
エマニュエル・トッド氏の『グローバリズム以後』を読んで考えたことを書いてみます。
結論としては、グローバル化が進んだ世界において、僕らは新たな(あるいは昔ながらの)心の拠り所を求めることになると考えました。
本書はインタビュー記事をまとめた本であるため、それぞれの主張がどの時期のものかに注意して読む必要があります。
目次
米国のグローバル化疲れ
グローバル化(※)は「帝国」となった米国に主導される形で進行しました。しかし、著者によると、米国はグローバル化疲れと言える状態にあります。
(※)著者は、グローバル化は単に経済の問題ではなく、識字率など教育の問題でもあると主張しているが、今回の記事では経済的な側面だけを議論の対象としている
自由貿易の拡大により、米国の企業は、新興国に安価な労働力を求めるようになりました。
すると、米国の労働者の生活は脅かされます。
なぜなら、米国の労働者は、新興国の労働者との価格競争に晒され、低賃金が広がっていくからです。
トランプ大統領の誕生以降に見られる保護主義は、グローバル化に対する反動と言えるでしょう。
日本もグローバル化に疲れているのかもしれない
さて、このグローバル化疲れは、日本にも当てはまると、私は考えています。
(日本が、グローバル化を主導している立場の国かはわかりませんが、実質賃金の低下など、米国と共通の問題がグローバル化によって発生していることを前提としています)
日本においても、実質賃金は低下基調にあります。
これがグローバル化による現象だとすると、日本も、グローバル化に疲れてしまっているのではないでしょうか。
そして、グローバル化疲れが、愛国教育や、日本礼賛の雰囲気に繋がっているのではないでしょうか。
グローバル化疲れという大きな文脈の中では、足元における安倍内閣も必然的だと思えてきます。
グローバル化の先で、僕らは心の拠り所を求めるようになる
グローバル化によって、世界中をヒト、モノ、カネ、情報などが行き来するようになることは、経済合理性の観点からは好ましいことです。
しかし、経済合理性は幸せを定義しません。
お金があれば避けられる不幸は多々ありますが、お金があっても幸せになれるとは限りません。
たくさんのお金を稼ぐよりも、豊かなつながりが大切になってきています。
最後の信仰の対象だった経済合理性も、その求心力を弱めつつあります。
今後、心の拠り所、幸せの源泉となるのはどこなのでしょうか。
著者が言うように、再び国家が心の拠り所として台頭してくるのでしょうか。
それとも、家族や、他の要素で繋がった小さなコミュニティが心の支えとなるのでしょうか。
終わりに
考えたことを書く中で、経済の問題は国民の心のあり方に影響を与えるし、国民の心のあり方もまた、別の回路によって国の経済を規定していくのだなと感じました。
ビジネス的な文脈に落としこむならば、グローバル化は、巡り巡って、心の拠り所となるようなコミュニティを作るビジネスのチャンスになるのかな、なんて思ったり。
あと、本を引用するのではなく、そこから自分で考えてみるってのは、楽しいけど難しい。もっとディスカッションしてみたい。と思いました。
おわり!